02/24 (日) 「私をつれていって」Vol.1



頭に浮かんだ情景が、何かの拍子にまた見えなくなってしまう。そうなると指はただ鍵盤を押しているだけになり、「もう一度見せて、感じさせて」と願ってもルイの世界は中々あらわれてくれない。いつまでも私の憧れ、ルイ・ヴィエルヌ。あなたに近づきたい。

20世紀前半、それまでのオルガン音楽界に桁外れに独創的な作品をもって人々を強く印象づけたルイ・ヴィエルヌは視覚障害を持っていました。パリのノートルダム大聖堂のオルガニストでもあった彼が、ハルモニウム(呼気式足踏リードオルガン)のために作曲した「24の自由な形式による作品集」を取り上げるシリーズ1。今回はストップを全く持たない山葉リードオルガン(1906年製)で表現します。

プログラム:
ルイ・ヴィエルヌ「夢」「伝説」「メランコリックな草原にて」
ジャン・ラングレー「リチェルカーレ」他

日時:2019年2月24日 (日) open 17:00 start 17:30
会場:旧グッゲンハイム邸(JR / 山陽塩屋駅徒歩5分)
   神戸市垂水区塩屋町3丁目5-17
料金:予約・当日共に 1,500円
主催:リードオルガン良い子組
共催:塩屋音楽会
協賛:アトリエ・ピアノピア

予約・問い合わせ:旧グッゲンハイム邸

TEL : 078-220-3924 FAX : 078-202-9033
E-mail : guggenheim2007@gmail.com

* ご予約送信の際に、ご希望の鑑賞日、氏名、電話番号、枚数を明記下さい。
* こちらからの返信をもって予約完了とさせていただきます。
* 火曜日水曜日が休館日のため、メールの返信は木曜日から順になります。







中村祐子

キリスト教の牧師の家庭に生まれ、6歳より教会オルガニストだった山村直子氏にピアノ教育、後にリードオルガン奏法の指導を受ける。1984年 国立音楽大学教育音楽科卒業。在学中からパイプオルガンを学ぶ。結婚後、夫の転勤で渡英。1991年〜1996年までジョン・ウエッバー氏に師事し、Associated Board検定試験(パイプオルガン)最終級までを取得。帰国後も教会での礼拝奏楽を続け、小樽文学館、神戸・旧グッゲンハイム邸、京都YMCA会館など歴史的な建物の中で同時代を生きた旧いオルガンを演奏している。




ルイ・ヴィエルヌ Louis Vierne (1870-1937)

フランスのオルガン奏者,作曲家。本名ルイ・ヴィクトル・ジュール・ヴィエルヌ。
1870年10月8日ポワチエのジャーナリストの一家に生まれた。先天性白内障のため盲目であったが、6才で弱視へ快復したのをきっかけにソルフェージュとピアノを始める。1880年に一家はリールからパリへと移住。翌年から国立パリ幼年盲学校(Institution Nationale des Jeunes Aveugles)へ進み、基礎的な音楽を学んだ。同校をしばしば訪れていたフランクの勧めでオルガンを始め、のちルイ・ルベールに師事。次いでフランクへ私的に就いてオルガンを学びながらパリ音楽院オルガン科で聴講を始め、1890年正式に同院へ入学した。翌年フランクが世を去ってからはヴィドールの門下に入り、間もなく彼の助手となって1896年までその地位を務める。

さらに1892年からは聖シュルピス教会でヴィドールの代理オルガン奏者となり、1894年に彼のオルガン科で一等を得た。1900年にノートルダム聖堂のオルガニストとなって亡くなるまでその地位を務めたほか、スコラ・カントールム(のちのエコール・セザール・フランク)オルガン科教授。健康上の問題から1920年初頭にはオルガンの奏力が著しく衰え、残された録音のほとんどがその後のものであるため、演奏者としては過小評価されている。1937年6月2日パリにてリサイタル中、心臓発作のため死去。死後、弟子のデュリフレが後任となったが、この時パリ中のオルガン奏者が後任の公選を要求し、ノートルダム聖堂の権威は失墜したとされる。

ヴィエルヌは生前、最も偉大な即興演奏家の一人と看做されていた。即興演奏の数少ない録音が遺されているが、あたかも完成され、推敲された楽曲を演奏しているかのようである。ヴィエルヌは、とりわけ楽式を尊重した、精緻で洗練された作曲様式を身に着けていた。和声言語はいかにもロマン派音楽らしく豊かだが、旧師セザール・フランクほど感傷的でも劇的でもない。すべての19世紀末フランスのオルガニストの中で、ヴィエルヌの音楽がおそらく最もオルガン向きの表現を体系化しており、続く世代のパリの偉大なオルガニスト兼作曲家の大半を啓発した。

カレンダー, 塩屋音楽会|2019.02.24

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