05/10 (金) 民映研×塩屋 vol.22 ドキュメンタリー映画上映会「シシリムカのほとりで」
「私たちが生を受けた日本列島に生きる 庶民の生活と生活文化を記録する」
姫田忠義|民族文化映像研究所|ドキュメンタリー映画上映会
【 上映作品 】
作品番号100「シシリムカのほとりで − アイヌ文化伝承の記録」
日時:2024年5月10日 (金) open 18:30 start 19:00
会場:旧グッゲンハイム邸(JR / 山陽塩屋駅徒歩5分)
神戸市垂水区塩屋町3丁目5-17
料金:一般 1,800円 大学生・シニア 1,200円 小・中・高校生 500円
主催:NPO法人ヒューマン・ビジョンの会
共催:塩屋音楽会
予約・問い合わせ:旧グッゲンハイム邸
TEL : 078-220-3924 FAX: 078-202-9033
E-mail : guggenheim2007@gmail.com* ご予約送信の際に、ご希望の鑑賞日、氏名、電話番号、枚数を明記下さい。
* こちらからの返信をもって予約完了とさせていただきます。
* 火曜日水曜日が休館日のため、メールの返信は木曜日から順になります。
「シシリムカのほとりで − アイヌ文化伝承の記録」民映研作品no.100
(北海道沙流郡平取町二風谷、日高町/沙流川流域 1996年 152分)
このフィルムは、明治以降急激に日本国家に包含されていったアイヌの人々が、その運命的激変のなかで、なお、忘れなかった大自然との共生のありようを、日高地方の一隅、シシリムカ(沙流川)のほとりにある平取町・二風谷で記録したものである。
日高山脈の最高峰ポロシリ(幌尻)岳。シシリムカに沿った河岸段丘にあるシンプイ(泉)のもとにアイヌの人々は生活を築いてきた。
春、プクサ(ギョウジャニンニク)、プクサキナ(二輪草)、ソロマ(ぜんまい)、コロコニ(蕗)、トレプ(うばゆり)等の豊かな山菜の採取。川原の砂地をも畑にしたピクタトイ(川原の畑)。アイヌの農耕の起源を思わせる重要な手がかりである。そして畑を耕す馬。明治以降、二風谷にも西欧風馬耕法が導入された。狩猟採集生活者から農耕者へ転じざるを得なかったアイヌの人たちの運命の象徴であった。六月、山でシナやオヒョウの樹皮を採って糸にし、アットゥシ(オヒョウの木の皮の織物)やトマ(ござ)を織る。
夏、巨大な桂の木で丸木舟をつくる。丸木舟は二風谷の人たちにとってなくてはならない生活用具であった。その丸木舟を石斧でつくった。各種の石材で試作し、沙流川の銘石「青トラ」が最も優れた石斧の材料であることも確認され、チプサンケ(舟下ろし儀礼)もした。
秋、畑の作物が実り、川にはシペ(鮭)が遡上する。マレプ(回転銛)、ラウォマプ(筌)等のアイヌの伝統的漁法。そして、鮭の調理法、保存法、利用法にもアイヌの多彩な知恵と工夫がある。
アイヌの家作り。大地に貝を使って穴を掘り、柱を立て、チセ(家)を建てた。チセノミ(新築祝い)には、大勢のアイヌが集まり、火の神へ祈る。女たちのウポポ(すわり唄)、ホリッパ(群舞)やヤイサマ(即興歌)が始まる。
二風谷集落の目の前の沙流川に、一九九四年、ダムができた。沙流川の広い河川敷につくられていた多くの農地は水没した。この記録作業はその転換期のただなかで行われたものである。
姫田忠義(ひめだ ただよし) 記録映像作家・映像民俗学者
1928年(昭和3年)兵庫県神戸市生まれ。旧制・神戸高商卒。
1954年、民俗学者の故・宮本常一氏と出会い、その影響を受けて日本全国を歩き始める。
1950年代後半より、映像を手段とする記録作業を開始。
1976年、民族文化映像研究所を設立し、2012年まで所長を務める。
2011年、開校と同時に日本映画大学・特任教授に就任。「民俗学」を担当する。
2013年7月29日午後9時55分 横浜市の病院にて「慢性閉塞性肺疾患」のため死去。84歳。7月31日家族のみにて火葬葬を執り行う。庶民の生活と生活文化を、映像による手段を使い記録作業を50年以上にわたり続ける。
≪「基層文化」=大自然に依拠しつつ暮らす、人間の精神文化≫をテーマに、
120本を超える映画作品を発表。代表作に「アイヌの結婚式」「イヨマンテ」、「越後奥三面 ~山に生かされた日々」(1986年シカゴ国際映画祭ドキュメンタリー部門銀賞)。1989年 フランス政府より芸術文化勲章オフィシエ叙勲
使用されている画像すべて©民族文化映像研究所